私が小学四年生の時に
転校してきた木曽中くんは、
目がぱっちりで手足が長くて、
それにサッカーをしていた。

表こころブログ_さびしかったイケメンの木曽中くん1

これだけなら女子からの
人気がたかそうだと思うが、
実際は違った。

なぜか。

彼はすごく凶暴だったのだ。

男子を叩いたり、
女子の悪口を言ったり。

つねに担任の
政治活動に熱心なおじさん先生に
しかられていた。

まさに狂犬

表こころブログ_さびしかったイケメンの木曽中くん2

とりわけ女子の
嫌われぶりはすごかった。

よくいろんな女子を
泣かしていた。

私と彼の関係はというと、
当時私は一休さんポジション
だったので、よく勉強面で
からかわれていた。

角度の「15°」と
温度の「15℃」が
違うことを
教えてくれたのは
木曽中くんだった。

表こころブログ_さびしかったイケメンの木曽中くん3


そんな木曽中くんの
ビックリ一発芸は
唾を垂らして机寸前まで
唾を近づけた直後のどに戻す

といったものだった。

もちろん唾は机につけない。

これを女子の机で
行なっていたから驚きだ。

表こころブログ_さびしかったイケメンの木曽中くん4

(余談だが月曜から夜ふかしで同じ芸をする女性がいて驚いた)


私と木曽中くんの
思い出がもう一つ。

私たちの家は若干
近かったので、
帰る方向がかぶることが多かった。

私は木曽中くんを
見つけるたびに

表こころブログ_さびしかったイケメンの木曽中くん5

こっそりと距離を離していた。

さわらぬ神にたたりなし
生えない髪に豊田真由子。


しかし、自宅マンションの
玄関を開けた瞬間、

表こころブログ_さびしかったイケメンの木曽中くん6

とモンスターズインクの
ブーも青ざめの
ストーキングで
後ろに立っていたことがある。

それも2回ほど。



大人になったいま、
木曽中くんについて思う。

彼の母親は病気で、
入院していた。

家も転勤族だったものだから
神奈川から鹿児島、
そして広島にたどり着いたのだった。

友達も母親も離れる時間が
多かったから
寂しかったのだろうね。

表こころブログ_さびしかったイケメンの木曽中くん8

子供は泣きたいときは泣けばいい。
甘えたいときは甘えればいい。

泣くときに泣かなければ
涙も忘れた鬼となる。


いま彼の思い出を
私は形にしては
大人の私が抱き寄せている。
それは都内で一人で生きていくと決めた
自分自身へのエールなのかもしれない。



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